中国史コラム1997 8-9月分


1998 9月分

夏休み報告 その1夏休み報告 その2

中国史コラム目次


1998/09/15

◎夏休み報告 その2

 しばらくぶりに書いたら、ずいぶん文体が違っている・・・ (^_^;)

 前回の三星堆展覧会に行ったのは、七月末です。その後トルコに行ったのですが、帰国した次の週末には、また東京に・・・。これは夫婦二人で行ったのですが、私の目的は「本の打ち合わせ」と称する密談(笑)、奥さんの方は「サクラ大戦歌謡ショーと、コミケ」です。私に期待して見に来てくれた某氏、御免なさいね。私はその時間、上野をうろついていました。

 これももう終わってしまった展覧会ですが、東京で見に行った展覧会は、上野の国立博物館でやっていた「漆で描かれた神秘の世界―中国古代漆器展―」です。なんでこれに行こうかな? と思った理由ですが、東京駅近くの八重洲ブックセンターで立ち読みをしていたら、今年一年の特別展を網羅した書籍を見つけ、ぼーっと読んでいました。本当は、鶯谷の書道博物館に、青銅器と拓本を見に行きたかったのですが、残念ながら別な本に「区立への移管のため、閉鎖中」との記事を見つけ、断念(もしリニューアルオープンしていたら御免なさい。)。で、件の本で見つけたこの展覧会に行くことにしました。

 奥さんをコミケに送り出した後、ホテルで九時くらいまで暇をつぶしていました。で、中央線に乗ろうかとお茶の水駅に行ったら、お約束の「故障、復旧目処立たず。」です。まあ、秋葉原駅まで近かったので、歩こうかとも思いましたが、道を覚えるのも兼ねて、気分を変えてタクシーで行きました。でも東京のタクシーって高いですね。京都も大概だけど、安い会社も結構走っているのが救いですか・・・

 ここに来るのも数年ぶりなのですが、大分様子が変わっていました。受付が自動販売機になっているんですね。平成館も一部使用可能になっていました。そういやあ、ここに大人料金で入館するのって初めてかも。今まで学生料金だったからなあ。

 まずは、本館地下のロッカーに荷物を預け、ミュージアムショップをザーッと見てから、本館一階の展示場に移動。そういえば、本館の展示物の配置もずいぶん移動しましたねえ。特別展がらみの移動なのかな?

 最初の部屋は、曾侯乙墓出土物の展示です。う〜ん、確かに漆工芸には違いないけど、棺桶も漆器に入るのか? 実はこれ、六年ほど前に同じ場所で特別展があったんですね。実はその時行けなくて、先日漸く図録が手に入ったのですが、実物? を見るとまた新たな感慨がわいてきます。木製品って保存が難しいので、ここまでの状態に持ってくるのにずいぶん苦労したみたいですね。その一端は図録にも書いてあります。この図録の解説は、東京国立博物館の学芸員が書いています(外部の人が書いていないところに、ここのプライドの高さと自身を感じます。)が、美術に携わる人が書いた手堅い解説だと思います。歴史屋さんから見れば、この辺りはどうなのかな? と観点の違いから来る物足りなさがありますが、歴史関係者が書く他の図録を見ると、美術家が又違う感想を持つのでしょうね。図録の印刷と、実物を見比べると、図録の方が朱に片寄った印刷かなあと思います。実物はもう少し赤っぽかったですね。出土時には空気に触れて化学変化を起こす前は、又違った色らしいと書いてありました。

 その他、雲夢秦簡・包山楚簡・望山楚簡(ここからは有名な「越王句践の剣」が出土しています。)等も展示されてました。ほんの数簡だけでしたが、包山は簡自体を見たかったのと、展示されていた部分が、実は見たかった部分{大事紀年形式(某を何処で破った年。現代風に言い換えるなら、「初めてワールドカップに出た年」とでも書くのでしょうね。)の年代が書かれていました。}でもあったので、非常に満足しています。またそれぞれに関連する墓の出土品から、漆工芸関連のだけが展示されていました。やはり実物を見ると、スケール感を実体験する事等、色々勉強になります。地方の属国の棺桶がこれだけでかいのなら、国君クラスは大きさは物理的限度がありますが、それ以上に相当豪華だったのでしょうね。盗掘するのもしょうがない? かなあ。

 包山楚簡の有名な「車馬出行図」ずいぶん小さいのね。もう少し大きいのを予想してていたけれど。しかし、細工がずいぶん細かいですね。服なんかかなりディテールが描き込まれています。相当凝っていますね。やはり楚の支配層、それもトップクラスの人の墓だから、こういう豪華な入れ物(この図は、化粧道具入れに描かれています。)も使えたのでしょうね。

 その他、禮器たる曾侯乙墓出土編鍾の復元品を鳴らしていました。これは好かったですね。音楽の中身は(古代っぽい題名を付けていたけど、どこでそんなメロディ見つけたん?)という突っ込みはさておき、正面と側面で異なる音を出す鐘の響きや、和音の響き方等が、非常に勉強になりました。やはりこればっかりは、実際に聞いてみる必要があります。

 満足して本館を出た後、東洋館だけざっと見ましたが、あそこもずいぶん展示が移動しましたね。すっかり変わってしまった。楚関係でいえば、伝幽王墓出土の青銅器があります。そこには文字が鋳込まれていますが、楚簡と同系統の文字でした。まあこちらも普段から好い物を出していますので、是非行きましょう。

 先月の三星堆よりも、個人的にはこちらの方が好みの展示物があったりと、当たりでした。これは個人差があるのでしょうけど、三星堆の方は力が入っていたけれど、空振り(失礼)って所でしょうかね。結局、西周末期〜戦国まで続いた強国楚との四川のせいぜい一都市(もしくは地方の物流センター。機能的には淮夷と変わらないんじゃないかなあ。)にしか過ぎない、三星堆との差に起因するのかも知れませんが。

 まあこの後、秋葉原に行ったのはお約束ということで・・・

 ※最近、「郭店楚墓竹簡」が話題になっています。これは戦国中期『老子』写本や、『禮記』の一部(『子思子』の一部だという学者もあります。まあ、『禮記』の竹簡の該当部分が、『子思子』ではないかと元々考えられていましたので、同じ事ですが。)が出ているので、非常に注目を浴びています。値段が高いので、未だ買っていませんが、その内入手したら報告しますね。

 そういやあ、『老子の新研究』の作者、大見得きって「『老子』は『韓非子』と同じ、戦国末〜秦の時代に書かれた物だ!」と書いていましたが、150年ほど遡った計算になる、郭店竹簡の出土。さて、どうするんだろう。これも楽しみです。

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1998/09/15

◎夏休み報告 その1

 もう九月も半ばになりましたが、私は相変わらず夏休みです。大学関係者の特権? ですね。社会人の皆様、御免なさい。 _(._.)_ あ〜、来週から授業じゃないか。後期は何をやろうかなあ(余り考えていない。)。『資治通鑑』の縮刷本が先日届きました。特化一万円なのですが、さてこれを何処から捻出するかが問題です。

 夏休みは、別稿のトルコ紀行の他、原稿書きに追われていました。何せ締め切りすっぽかしてトルコに行ったものだから、帰国してから大変でした(笑)。今手元に初稿が来ています。共著なので、皆が少しづつでも分量を増やしただけでも、トータルで100ページ以上オーバーだそうです。取り敢えず削ることにしました。十一月に出るはずなので、お暇な人は買ってください。『電脳中国学(仮)(好文出版)です。\3000いかないと思うのですが、これでも多く刷って安くしました・・・

 で、今日の本題です。この中国史コラムも全然更新していませんでしたね。その間何をやっていたかと言えば、上に書いたものが中心なんですが、中国関係も当然あさっていました。この夏は展覧会を二つばかり見に行きましたが、先ずはそれの紹介と言うことで、復帰第一段としましょう。

 東京では初夏の季節に開催された「三星堆展」。京都では真夏の盛りにやっていました。京都でももう終わりましたが、福岡で今日から始まると思います。私の感想は、極めていい加減なので、余り信用しないでくださいね。 (^_^;)

 行ったのは終了一時間前。まあ、なんだかんだといっても一つの遺跡なので、小一時間も有れば大丈夫だろうという目論見です(実際その通りでしたが。)。この遺跡に関して、一般に紹介された人として、今京セラの社員である徐朝龍氏が著名です。彼に関しては、以前のコラムにも書きましたが、まあ「郷土愛溢れる御仁」とだけ言っておきましょう。

 実際の遺跡の紹介そのものは、展覧会の図録が、一番よいのではないかと思います。要は、「四川の成都近郊から、青銅器が山のように出てきた。しかも今までの青銅器とは造形が全然違う! 」と覚えておけばよいでしょう。

 図録のウリ文句には「中国五千年の謎 驚異の仮面王国」と書かれていますが、これがとある特定の王国所産の物だったかどうか、文字資料が欠けている状態では、確言が出来かねます。まあ、ある集団の祭祀関係の青銅器群だとするのは、了解されているとしてよいでしょう。その他の見解としては、パンフを見ていただければよいです。日中の研究者が論考を寄せていますが、比較すると色々見えてくるでしょう。概して突出しがちなのは地元の人、慎重なのは海外の人というのは、どこでも同じなんでしょうね。

 さて、前振りが長いのも何ですので、実際の感想です。以前「中国歴史博物館展」で、一部の出土品を見ていました(中国史全体の紹介と言うことで、ここには出土品の一部を寄託することがあるようです。)。今回それが纏まって来ているので、色々と比較することも出来ました。まあこれは好いことです。仮面の造形自体は、確かに面白いですね。そもそも人(神)面をダイレクトに造形するというのは、中原には余り見られないのでは無いかと思います。それ以外にも青銅禮器(殷の影響を色濃く受けています。)等が展示されていました。こちらの方は逸品であるとは言い難いですね。青銅工房の工人は、おそらく殷系の人が連れられて来たのではないかと想定されますが、やはり一流どころは西周が離さず、それよりも劣る工人が下賜されたのでしょう。禮器の造形を見ているとそう思えてきます。仮面の鋳造テクニック自体も、原材料や技術不足によって、ちょっとね・・・ と思えるところがあるそうです。詳しくは図録を見てください。展覧会を開催した博物館に、在庫が残っていれば入手可能です。或いは今開催されている、福岡市美術館にでも問い合わせをしたら大丈夫かと思います。

 展示品の感想は、実は余りないです。同じ物が多いのと、どうも「一大文明」と豪語する割にはちゃっちい気がするんですね。これは個人的感想ですけど。面白かったのは、ビデオで青銅仮面の復元作業の様子を流していたやつですね。「御飯を食べに行っている間に、鋳型が崩れた」だの「鼻がもげた」だの失敗の連続で、昔の工人もそうだったのかな? と思わせました。復元された仮面が藤子(A)氏の描く漫画にそっくりなのも、受けた理由です(藤子先生の地元だからか?)。もっともある先生によると、もっと上手い人があの地区にはいるそうなので、王朝の一流工人は又違ったのかもしれません。

 これを見に行った後、他の人と話をしていて「それ、本物か?」と先ず聞かれました。中国の展覧会では、実物ではなくレプリカを、特に断り無く展示する事があります。これは本土でもそうです。で、事情を知っている先生は、「本物は何処?」と聞くのだそうです。まあ、文化財自体が輸送や展示などで破壊されやすい、とりわけ日本では、兵馬俑が数回破壊されているという、前科もあります。今回のケースがどうなのかは知りませんが、そういうことも有るのだと覚えておくとよいでしょう。

 もっとも、私自身はこの三星堆を「文明」とは考えていません。一つの文化圏と考えた方がよいでしょうね。岡村氏の論考に見られるように、殷代の比較検討という視点から見ると、三星堆の出土物は必ずしも特異とは言えません。また安易に戦国期の文献と対照して「文献にはこう書いてあるから、精神世界はこうだ。」という、中国側にありがちな、いつもながらの論法は(ちょっとオーバーですが、現在のファッション雑誌から、平安時代の装束を考えるようなものです。)、今更言うまでもないです。

 美術的観点からではなく、歴史屋さんの目から見た場合、この展覧会の「真に」面白いところは、展示物ではなく、図録にあります。先ず、その値段\2500! 通常の図録に比べて、二割り程高いです。しかも簡易ながらハードカバーです。小学生の頃からあちこちの展覧会を見ていますし、この業界? に足を突っ込むようになってから、綺麗な写真を入手する必要上もあって、図録は買うようにしていますが、ハードカバーなのは初めてです。これだけでも買う価値はありますね。その他にも見所はあります。学術的な解説は、執筆者によって論が異なりますが、大抵の展覧会なら、幾つかの論考が合わさって、一つのイメージを作り上げるものです。しかし、この図録の論考は、学説がバラバラといかないまでも、かなり違っています。人によってこうも認識が違うのかということを、感じてください。特に、徐・岡村両氏のものを見比べると好いでしょう。個人的に一番受けた? のは、展示品の解説部分です。これは稲畑・岡村・徐の三氏が分担執筆しています。で、それぞれの担当部分に、識別子が付いているのですが、それを追っかけてみると、徐氏の解説が非常に思い入れたっぷりで暴走しているが見物です。なんていうか、こういった展示物の解説って、どこか冷めているところがあるものですが、徐氏の担当部分にはそれが感じられません。これが良いか悪いかは兎も角、彼がこの遺跡に対し、思い入れたっぷりである、というのがよく解ります。買った人は読んでみましょう。見に行った人は是非図録を買いましょう。

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