Blog主は、中国古代史を文献中心に研究しています。
その為、文献を批判的に読む、とか、各文献のモチーフやらその材料やらに思いを馳せるという読み方が染みついています。おかげで、人の読み物に素直に感動する!というのが中々出来なくなってくる今日この頃です。
閑話休題。
文献を材料とした研究では、文献に書かれている情報をネタに、自分の学説を組み立てていくわけですが、その場合、情報の素性が重要になります。どっかで書いたような気もしますが、警察の鑑識みたいな感じですかねえ。
そのため、古典文献を読みながら、モチーフ毎に分解したり、そのモチーフがどのように再構成されて、今の文献の形になったのか? という事を考えるのは、文献を主たる手段として研究を進める場合、どなたもやられている作業になります。
その中で、重要な要素として「文献の重層的な構成」があります。これは、上記のモチーフの生成→展開→再構成の繰り返しが積み重なる、というプロセスで、テキストが生成され伝わり、余所でまたその一部をネタ元にそれが繰り返され、現行の文献のテキストが存在するに至るという事を指します。
それは、単に中国文明だけの話ではない、というのは、ある意味当たり前の事ですが、じゃあ、他の分野ではどうなっているのかなあ~と、以前疑問に思って、あれこれ本を読んでいました。
その中で、新約聖書の形成史に関する研究をいくつか知る事になりました。
現在の新訳聖書の生成に関する研究の中で、大きなウエイトを占めるのが、Qと呼ばれる語録資料に関する研究です。
このQについては、ナザレのイエスが亡くなった後の極初期のイエス運動の追随者が作成した文書群であり、それを材料の一つとして、福音書が作成されたとされます。
無論、これに関する批判もあります。批判がない研究は無視されているか、気がつかれない研究なので、大きな声での批判があると言うことは、それだけインパクトを業界に与えた研究なのでしょう。
そのQ資料に関する研究の中で、著名なのがアメリカのバートン・L・マック(リンクはWikipedia)氏による本書です。
この本自体は、ずいぶん前から存在を知っていたのですが、勤務先の図書館で偶々見かけたので借りてきて読んでみました。
翻訳が直訳調なのは善し悪しですが、Q資料の最古層(Q1)とされた犬儒派の哲学者の如き格言を中心としたイエス語録や、使徒や終末に関する記述はその後付加されたものである(Q2, Q3)など、従来のイエス像と全く異なる「神の子」でもなく、「十字架による贖い」もない、「終末の裁き」も想定外という、イエス像は賛否併せて確かに大きな反響を呼ぶわけです。
Blog主は、信仰上も学問分野上も門外漢なので、細かいコメントや賛否については差し控えますが、じゃあ、Qが再構成する地上のイエスの活動じゃない、地上のイエスってどんなん? とか、Qを保持した集団と、イエスの直弟子集団との関係など、色々知りたい部分もあります。その辺りはマック氏の他の書籍で書かれているのかな? また気が向いたら読んでみようかと思います。
文献屋さんとしては、やはり対象とする文献を分解するまで読み込んで再構成する場合、このレベルまではやっておかないとだめなんだかあ、と、ちょっとは重なる部分での感慨を持ちました。
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誰が新約聖書を書いたのか 発売:青土社 1998-02 |
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